離婚の判例:病気

離婚の判例集

 この世に生きていて、何が怖いかといったら、やっぱり病気です。

 死ぬのももちろん怖いですが、ある意味、病気の恐ろしさはそれ以上です。
 例えば、ある日、外国から予告なく核ミサイルが撃ち込まれ、あなたの頭上で炸裂したとしましょう。怖いですか? でも、正直なところ、あなたは何も感じないでしょう。「なに? このうるさいのは」と振り返って空を見上げたら、あとは真っ白。何かを感じる前に、蒸発して終わりです。
 ところが病気はというと、そんなに簡単にはいきません。ジワジワとあなたの健康を蝕み、肉体のほうも病気に抵抗します。そうして一進一退、生きようとするあなたの体は軋み、それがあなたの呻き声になって漏れ出てきます。
 しかも、自力で身動きもできないとしたら、どうでしょうか? 食事もまともにとれず、言葉も話せず、排泄すらままならないとしたら。

 しかし、そういう不幸も、絶対にないとは言い切れないのが人生です。
 そこに……夫の冷酷な仕打ちが重なったら、もう絶望しかありません。

薄情な夫

 夫と妻は、昭和47年に結婚し、昭和50年には長男、53年には長女が生まれました。
 ところが昭和62年、妻の体調がおかしくなります。病院で診断してもらったところ、国指定の難病、脊髄小脳変性症と診断され、すぐ入院することになりました。

 小脳は、主として運動機能を司る脳の部位です。鳥類などではよく発達しており、それによって高度な空間認識を行って、飛行を可能にしています。人間の場合でも同じで、この部分が平衡感覚を維持するのに役立っています。
 つまり、彼女はこれによって、まともに歩くことができなくなりました。階段も手摺りに掴まらないと昇降できなくなりました。当然、自宅で家事に従事するなんてできません。
 ただ、損傷していくのが小脳なので、知的障害は起きません。運動機能が大きく失われたために、言語障害も出てはいましたが、物事を理解する能力は維持されていました。

 そんな苦しい状況で、夫は入院してから、ただ一回だけ面会に来ただけ、入院してから三ヶ月分の費用だけ支払っただけであとは放置しました。お金の負担といっても、大したことはなかったはずです。なぜなら、この病気は国の特定疾患に指定されているので、治療費そのものの個人負担はないからです。
 そして子供達には、妻との面会を禁止しました。その上で、離婚請求に踏み切ったのです。

裁判所もギリギリの判断をする

 なんと、一審では夫の請求が通ってしまいました。

「妻が難病に罹患した場合に、夫が献身的に妻の介護にあたり、夫婦の絆を保ち続けるという事例もあることは公知の事実であるが、このような行為は美談として賞賛されるものではあっても、法的にこれを強制することまではできず、また夫は、昭和62年6月に見舞った後は、妻の見舞いにも行かず、入院雑費も負担しておらず、これが夫婦の関係を疎遠なものにした一因ではあるが、これが婚姻関係の破綻の主たる原因であるともいえない」

 デタラメな審判だ!
 と思うかもしれませんが、案外、裁判所は現実的に考えたのかもしれません。
 経緯をみるだけでも、夫は妻を守る気がないのです。これを無理やり結婚させておいても、妻が幸せになることはないでしょう。献身的に介護してくれ、見舞いにもきてくれて、心の支えになってくれるなら、妻にとっても婚姻継続の意味がありますが、それは期待できそうにない……だったら、離婚を認めたほうがいいのでは、と。
 また、こうした妻を抱え続けることで、夫の側の人生の自由も失われます。そのギリギリの判断から、こうした判決が出たのでしょう。

 しかし、名古屋高裁は、夫の請求を棄却しました。

「右認定事実によると、夫と妻の婚姻生活における障害は、妻が本症に罹患したという一点にあるところ、なるほど、妻の現在の症状に照らせば、妻は家事をこなす能力に欠けており、周囲の者の理解ある援助がなければ、日常生活さえ支障をきたす状態にあるが、一方、知能障害は認められないから、夫婦間あるいは親子間における精神的交流は可能であり、子供との同居を願い、婚姻生活の継続を希望する妻の意思を考慮すると、本症に罹患し、日常生活の役に立たなくなったからという理由だけで、妻の座から去らせようとし、しかも入院はさせたものの、国の援助に頼るのみで、看病はおろか、入院生活の援助もせずに放置し、将来に亘る誠意ある支援態勢を示さず、妻の希望する子供との交流さえ拒む夫の態度のみによって、婚姻が破綻していると認めることはできない」

 高裁は、地裁と同じく、夫の態度の悪さに気付いていたはずです。
 つまり、妻の入院費も惜しみ、面会にも行かず、しかも子供達も妻に会わせようとしない。悪辣とさえいえる誠意のなさです。また、妻の病態は「精神病」ではありません。夫や子供を識別できなくなったのなら、「精神的結合」が失われたのだから婚姻も破綻するのですが、妻には区別がつくので、まだそういう判断はできません。
 そうした点を考慮して、夫の請求を退けたのでしょう。

 私、蓮沼も、たとえ夫が嫌いで離婚するにせよ、あまりに良心的でない態度はとらないことをお勧めしています。それはなぜかといえば、裁判所がこういう判断をするからなのです。

誠実な離婚

 つまり、離婚したいと思ったら、まずは誠意ある対応をしなければならないのです。
 アルツハイマー病に罹患したことを原因に、離婚請求が認められた事例があります。

 昭和46年、夫は16歳も年上の女性と結婚しました。それが11年後、妻の背骨が右側に湾曲し始めて、話の内容もおかしくなったり、妄想が入ったりするようになりました。それで翌年、入院して検査したところ、アルツハイマー病とパーキンソン病に罹患していると診断されました。
 夫は妻を自宅療養させ、自分で面倒をみていました。ですが、認知症の患者の相手は非常に大変です。昭和61年に、妻を自宅付近の特別養護老人ホームに入所させました。
 平成元年、妻の痴呆の程度は重度で回復の見込みはないと診断され、禁治産宣告を受けました。そして夫がその後見人になりました。

 夫は再婚を考えるようになりました。まだ42歳の若さだったからです。
 そこで妻の後見監督人を務める弁護士に対して、離婚請求訴訟を提起しました。本人が意思能力を喪失している以上、裁判によるしかなかったからです。

 長野地裁は、請求を認めました。

「妻がアルツハイマー病に罹患し、長期間に亘り夫婦間の協力義務を全く果たせないでいることなどによって破綻していることが明らかであり、右1の13ないし15の各事実(夫が妻の入所後も1~2週間に一度は見舞いに行き世話をしていたこと、夫が離婚後も妻への経済援助と面会を予定していることなど)をも併せて考慮すると、夫の民法七七○条一項五号に基づく離婚請求は、これを認容するのが相当である」

 精神的結合が維持できない精神病であり、かつ夫が婚姻中に充分、協力義務を果たしてきたことが評価され、離婚に至ったケースです。
 病気が離婚の理由になるケースとしては、これがモデルといえるでしょう。

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