元来、有責配偶者、つまり婚姻を破綻させる原因を作った側からの離婚請求は、認められないものでした。
例えば、結婚してから別の女性に目移りして、そちらと一緒になりたいからといって「離婚しろ」なんて、あまりに身勝手です。だから、かなり最近になるまで有責配偶者からの離婚申し立ては、ほぼ無条件に棄却されるべきものでした。
それが大きく変わったのが、昭和62年のことです。
こうした離婚が認められるためには、次の要件が満たされていなくてはなりません。
1.長期間、既に婚姻の実態がないこと
2.未成熟の子がいないこと
3.離婚によって相手が経済的、社会的、精神的に極めて過酷な状態におかれないこと
人生の後半は別居生活
その夫婦は昭和12年に結婚しました。
おりしも太平洋戦争の時代、昭和17年から21年まで、夫は南方で従軍していました。それ以外の期間は特に問題もなく、夫婦は同居生活を送っていました。ただ、子供が生まれなかったので、昭和23年に二人の子供と養子縁組しました。
ところが夫は、昭和24年になってから、愛人と同棲を始めてしまいます。それから夫はずっと妻と別居状態となります。夫と愛人の間には二人の子供が生まれ、夫は二人を認知しました。
それで夫は、昭和26年に離婚請求しましたが、これは棄却されました。
それから三十年が過ぎました。
昭和59年に、夫は再び離婚調停を申し立てましたが、不成立となったため、妻に対して離婚請求訴訟を提起しました。
一審、控訴審とも、有責配偶者からの申し立てということで、信義誠実の原則に照らし許されないとして、棄却しました。
3要件が明示された瞬間
しかし昭和62年、最高裁で判断は一変するのです。
「有責配偶者からされた離婚請求であっても、夫婦の別居が両党自社の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び、その間に未成熟の子が存在しない場合には、相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて過酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り、当該請求は、有責配偶者からの請求であることの一事をもって許されないとすることはできない」
夫は明治45年生まれ、妻は大正5年生まれです。
それが昭和12年に結婚して、24年からずっと別居しているのです。
婚姻期間は12年、一方、別居は36年間にも及びます。
二人とも、人生の大半は別々に生きてきたのです。これでは確かに夫婦の実態などない上に、既に昭和も終わりという時代ですから、夫は八十に手が届く年齢で、世を去るのも間近です。
今から、同居している内縁の妻を捨てて家庭に戻ったところで、今の妻と家庭生活を営めるでしょうか。
実質的に、離婚を認めないことに何ら意味がない、と判断したのです。
それで最高裁は条件をつけました。この離婚のせいで、元の妻が生きていけなくなるような、文字通り「捨てる」ような離婚は許されないとしたのです。
平成元年、差戻審では、離婚請求が認められました。
そして夫には、妻の十年分の生活費として1000万円、慰謝料として1500万円の支払いを命じました。
有責配偶者からの申し立てが認められる例が、ここに始まったのです。
しかしこの事件、当事者達の気持ちは、どんなものだったでしょうか。
12年も連れ添って、子供に恵まれなかった妻。
養子縁組したばかりで放り出された二人。
一方、40に手が届こうという年齢で、やっと実子に恵まれた夫。
妻になれないまま、愛人の立場で36年を過ごした女性。
私、蓮沼が思うに、誰もが幸せになりきれなかった。そんな印象を受ける事件です。
夫は死を前にすべてを清算したかったのかもしれません。
妻は子供を産めなかった自分の人生を否定されたくなかったのかもしれません。
世の中、こういうこともあるのです。