あなたは普通の人生を送り、普通の結婚をしたはずでした。夫は平凡ながら真面目で誠実な男性で、毎日欠かさず会社に出勤し、給料日にも無駄遣いはしないでまっすぐ家に帰り、残業がない日は家事育児にも積極的に協力してくれる、過不足ないパートナーでした。
しかし、とある蒸し暑い夏の夜、寝付けないあなたは真夜中に起き出して、偶然見かけてしまいました。夫は家族が寝静まったのを見計らって一人庭に出て、変なポーズを取りながら……
「ポポパプパッ!」
と叫んでいたのです。
驚いたあなたが尋ねると、彼はさも当然と言わんばかりの爽やかな笑顔でこう言うのです。
「ああ、毎日のお祈りだよ。大宇宙の創造者、ポポパプパ様と交信するための儀式なんだ」
ポポパプパ教は全世界に二十三人もの信者を抱える宗教集団で、宇宙を創造した神ポポパプパとの精神感応、それによる自己の成長と昇華を目的としているそうです。当然、宗教法人の資格もありません。教祖が教えを説き始めてから、まだ二年しか経っていない新興宗教なのだとか。
「君もどう? 強制はしないけど……ポポパプパッ!」
もちろん、これは創作であって、実際にそういう話があったわけではありません。
しかし、もしこんな出来事があったとしたら、通常の感覚をお持ちの方であれば、この時点で目の前が真っ暗になるかと思います。
ポポパプパ教だなんて、そんな怪しい宗教……
夫にもやめて欲しいし、やめてくれないなら離婚したい。そう思うのも無理はありません。
では、離婚は可能なのでしょうか?
信教の自由
できません。
崖の上から突き落とすようで申し訳ないのですが、あなたの夫がポポパプパ教の信者だからといって、離婚請求が認められたりはしません。
そんな宗教は聞いた事がないし、怪しい。
キリスト教や仏教なら、みんな知ってるし、おかしいとも思わないけど。
何より、祈り方が変だし、恥ずかしい。
おっしゃること、社会通念上は至極もっともで、蓮沼個人としては理解もできるのですが、裁判所としては、そうした認識すべてを「偏見」「主観」であると判断します。
では、あなたは大宇宙の創造者ポポパプパがでっちあげのまがいものであることを証明できますか? もしかしたら本当に次元の彼方から、あなたの夫にメッセージを送信しているかもしれないじゃないですか。また、ポポパプパが約束している宇宙の崩壊と再生、そして信者への救済が行われないという根拠は? もしかしたら、これも本当かもしれないじゃないですか。
キリスト教や仏教なら……それは確かに、二千年の歴史を持つそれらの宗教の方が、社会的信用はあります。ですが、ポポパプパ教がそれらに劣るとするのは偏見であり、差別でしょう。イエスやゴータマ・シッダールタは生身の人間に過ぎなくても、ポポパプパ様は物質を超越した偉大な神かもしれないのです。
祈り方が変。それもあなたの主観です。キリスト教だって食前の祈りとかがあったりしますし、仏教だとお経を読んだりします。ああいう祈りを無意味と片付けるのが、どれほど失礼かなんて、いちいち説明するまでもないでしょう。
だから、あなたの夫がポポパプパを篤く信仰しているという事実をもって、離婚を請求するのは不可能なのです。
実質的な不利益があるかどうか
但し、裁判所は信仰の是非は判断しませんが、その信仰から生じる行動の結果は判断します。
仮にあなたの夫が、ポポパプパ様を信じるがゆえに、問題行動を起こすようだと、それは立派に離婚の理由となります。
例えば……
- 稼いだお金を家庭にいれず、すべてポポパプパ様のために使ってしまう
- 祈るためだといって、家事育児にまったく協力せず、手助けが必要な時に呼んでも来てくれない
- 妻や子供がポポパプパ様を信じないからと言って暴力を振るう
- ポポパプパ様を信じない一般人との付き合いや会話を禁止される
- ご飯を食べたいのに、ポポパプパ様からのメッセージが届くまで待てといわれるせいで、妻も子供もしばしば絶食させられる
- ポポパプパ様の霊を体内におろすためだといって、他所の女性と性的関係をもつ
婚姻費用を支払わず、生活に必要な協力義務を果たさないということであれば、これは婚姻の破綻です。
また、信仰を強制して暴力を振るったり、交際を制限したり、食事まで禁止するとなると、これはもう立派な虐待であり、刑事事件として扱われるのが妥当です。
それから、交霊だかなんだか知りませんが、妻以外の女性と性的関係をもてば、それは不貞行為です。
しかし、冒頭の例のように、誰にも迷惑にならない場所で一人祈るだけで、妻に信仰を強制することもなく、真面目に働いて家計を助け、家事育児にも努めてくれるとなると、内心はどうあれ、行動の上ではケチのつけようがありません。
つまり、実害がなければ、諦めるしかないのです。
宗教絡みの離婚は難航する
ただ、現実の宗教絡みの離婚騒動は、生易しいものではありません。
たいていの場合、深刻な実害が生じるからです。
宗教というのは、世界の成り立ちを説明するものです。宇宙は誰がどんな目的で作った、人類はこういう使命を享けてこの世に生まれた、従ってあなたもこうしなくてはならない……というように考えるものです。
従って、信者には生活上のさまざまな制限が課せられるのが普通です。
例えば、ユダヤ教では虫を食べるのを禁止しています(料理の中に混ざった2%以下の虫であれば許される)。
イスラム教では豚肉を、ヒンズー教では牛肉を食べてはなりません。
飲酒が禁止される宗教も多いです。
他にも、服装や職業などの制約が加わることもあります。
極端な場合、インドのサティーのように、寡婦に焼身自殺を強いるものまであります。
虫を食べるな、という程度の戒律であれば、ほとんど問題にはならないでしょう。一方、夫が死んだら妻も自殺せよとなると、これは冗談ではありません。
悲惨なのは、結婚してから夫の信仰が明らかになる場合です。
実はその宗教では、結婚していいのは同じ信者だけ、という制約がある……といったパターンですね。子供が生まれてから正体を現して、その子供を人質にして改宗を迫るのです。だからといって、この手の人種に屈服したらとんでもないことになります。家族愛より信仰が優先するから危ないのです。
実際、これは私の体験談ですが、とあるお見合いでそういうケースに遭遇しました。
私のお見合い相手に、先方の母親がついてきて、最初は世間話をしていたのですが、三十分もしないうちに信仰の話が始まりました。以後、二時間に渡って、いかに自分達の信仰が素晴らしいかを滔々と語り続けてきたのです。
相手の方は、私より年上で、もう四十代半ばに達していたのですが、それでも独身でした。あとで調べたところ、私に入信させようとしてきたその宗教というのは、結婚相手は信者でなければならないという縛りがあり、だからまず私を改宗させようとしてきたのだとわかりました。
これさえなければ、お相手の方も、とっくに普通の家庭を築いていたでしょう。その母親も、自分の子供がどんな人生を送るかよりも、とにかく信仰がどうなるかのほうが大事なのです。
こうした宗教は、子供が熱を出しても、宗教上の義務を優先します。
病気が治らないのは信仰が足りないせいだ、と平気で言い放ちます。
ですので、結婚後に信仰が発覚し、それが生活上の不便を生じるようなら、あなたは記録をとるべきです。つまり、証拠をとっておくのです。
つらい、つらいというだけでなく、なぜつらいのか。信仰そのものを否定することは、裁判所にはできません。信仰の結果、病気の子供を病院に連れて行くことが許されないという事実が、裁判所を動かすのです。
もし、あなたが宗教の罠に嵌ってしまっているのなら、頑張って抜け出してください。