男達による性の濫用

管理人のコラム

 このサイトは離婚を取り扱っていますが、私・蓮沼としては、結婚自体が間違ったこと、罪悪であると宣言せずにはおれません。
 あまりに不当な性の分配制度だからです。

 そもそも歴史が始まって以来、男達は性というものを濫用してきたと言わざるを得ません。
 彼らは性欲に惑わされるあまり、無視し難い罪悪をいくつも重ねているのですが、それに気付いてさえいないのです。

 一つ、女性に対する重大な侮辱
 いざことに及ぶとなれば、まるで女性が自分のモノにでもなったかのように錯覚し、ただただ自分の欲望を満たそうとするばかりで、愛情も敬意も感謝も、何もありません。
 あまつさえ他の女性に手を出すということでもあれば、妻に価値がないと宣言しているに等しいです。しかし、もちろんそんなことはないし、またあってはなりません。もし女性が夫の不倫に苦しめられているとすれば、それは看過しがたい虐待であるといえるでしょう。

 他のコラムでも述べましたが、そもそも一人の女性に一人の男性は相応しくないのです。数としてはほぼ同数でも、その存在価値には比較できないほどの差があります。命を継いでいけるのは女性だけで、男はそれに寄生しているに過ぎません。なのに、せっかくその中の一人が傍にいてくれるのに、それを大切にしないとは、なんという傲慢でしょうか。
 だから、既に必要以上、身の丈以上のものを手にしておきながら、更に他の女性を追い求めようというのは、これはもう「盗み」に等しいです。それも、飢餓や貧困からくる、あのやむを得ない盗みではありません。ありあまるほど持っている者が、更に不当に利益を得ようとするようなものです。

 二つ、生命への冒涜
 そもそも女性は月経周期もありますし、どうしても必要なタイミングで適切な相手と性交渉をもたねばなりません。その意味で、女性の性欲には公益性があるというべきです。
 一方、男性の性欲は、女性がこれを必要とした時、いつでも提供できるようにデザインされているだけのものであって、本人が好き勝手に用いていいようなものではありません。この点を履き違えて、自分がもって生まれた欲望を押し止めることもできず、周囲に迷惑をかけながら撒き散らすとは、どんな恥知らずでしょうか。

 ここから延長して考えると、当然ながらポルノその他のコンテンツも、本来ならあってはならないものです。
 性欲は男の体の中にありますが、生物として考えるなら、決して男の権利ではないからです。それを映像や架空の描写などの力を借りて、自ら発散するというのは、あるべき姿ではありません。
 本来、それは男として十分に競争し、勝利を収めて女性に選ばれ、次代に生存することを許された一部の個体だけが与えられる喜びであって、その報酬のために男達は日々、努力しなければならないのです。そうしてみれば、これもまた「盗み」であるといえるでしょう。正しいルートを通って得るべき報酬を、横からつまみ食いしようというのですから。

 そうしてみると、上野千鶴子は、フェミニストでありながら、随分と寛大な意見を述べたものです。

「ギャルゲーでヌキながら、性犯罪を犯さずに、平和に滅びていってくれればいい」

 もちろん、本当はその「ギャルゲー」自体、存在が許されないものなのですが。

 ましてや風俗その他、有料で女性からの性的サービスを受ける……これなどは、女性の尊厳などカネで買えると鼻で笑っているようなものです。もちろん、生きる上でやむなくそうした仕事をする女性に罪はありません。そこをごちゃまぜにして、「男も買うし、女も売る、同意の上なんだからどちらも悪くない」などと言い放つ男などもいますが、心得違いも甚だしいというべきです。
 だいたいからして、そんな、たかが数万円程度の報酬を支払ったくらいで、得たものに相応しい対価を差し出したといえるのでしょうか?
 この後、述べますが、それは強姦に等しいのです。

 三つ、人類への反逆
 大袈裟に聞こえるかもしれませんが、本当にそうなのです。

 そもそも、正当なルート、つまり一切の制約に縛られない女性の同意によって性交渉に至るという関係以外では、何れも性の価値のディスカウントが発生しています。それは、女性の置かれた弱い社会的立場と関係しています。
 考えてもみてください。性的同意には、他の様々な要因がぶら下がって、複雑な判断になっていることが非常に多いのです。

 例えば、途上国の貧しい女性です。彼女らは仕事がなく、或いは稼げる仕事をする自由がないために、やむを得ずしばしば売春によって生計を立てています。相手の男はお金を払ってはいますが、これは実のところ、社会的レイプといえるのではないでしょうか。自分や子供、家族が生きていけるのであれば、そうした仕事を望んでするはずはないからです。
 つまり、売春と強姦の間には、はっきりした境界線がありません。殴り倒して襲い掛かるのと、刃物を突きつけて押し倒すのと、違いはないでしょう。しかし、その刃物がお札に変わっても、やっぱり同じです。そのお札がないと、食べるものがなくて餓死するのですから。

 そして、日本のような先進国であってさえ、なお女性は結婚相手に年収を求めざるを得ません。一人では子供を産み育て、しかも働きながら暮らすには、あまりに困難があるからです。しかし、このような結婚は、純粋な愛情というより、必要に応じたビジネスのようなものになってしまいがちです。
 つまり、売春と結婚の間にも、はっきりした境界線がないのです。それは、結婚が財産にかかわる複雑な契約一式を二人の関係に持ち込むからです。一夫一婦制なども、要するにすべての男に女性を分配しようということですから、僅かな上位の男性にとってはそうでもないですが、それ以外の男性にとっては、大変にありがたい「値下げ」です。

 要するに、現代の性的関係は、ほとんどがこうしてディスカウントされた取引になってしまっているのです。
 本来の競争と、それによる進化を阻害された、人類の質を落とす性的接触が続いてしまっている……これは悲劇というしかありません。
 性欲をもたされた男達は、正しい努力で人類の進歩に貢献すべきところ、積極的に抜け道探しに労力を費やしているのです。これが人類への反逆でなくて、なんだというのでしょうか。彼らはその愚劣な遺伝子を集団の中に拡散させ、今も汚染を続けているのです。
 このような重い罪を犯している彼らには、本来、生存権すらあるべきではないのです。

 残念ながら、人類ほど弱い種族はありません。
 そして、人類ほど非合理的な種族もありません。

 例えば、アリはどうでしょうか。
 働きアリは、役目を見失うことがありません。自ら子孫を残す能力はありませんが、女王アリのために働き、女王アリが産んだ卵を世話し、幼虫のためにひたすら餌を集め、巣を掘り続けて、死んでいきます。そうであればこそ、コロニーも拡大し、子孫も栄えるというものです。
 この、人類の働きアリに相当するべき男達はというと、必ずしもそうした役目を果たそうとしていないのですから。

 このサイトは離婚を取り扱っていますが、私に言わせればそもそも結婚制度自体が強姦です。
 その社会契約の中には、性的関係をもつことも含まれているからです。しかし、何らかそれが強制力として働く要素が含まれているのであれば、暗黙的なものであろうとも、やはりそれは強姦です。
 ましてや、不倫や買春に手を染めるとなれば、その罪の重さは計り知れません。

 では、どんな社会であれば、女性がまともに人権を享受して暮らせるのでしょうか?

 例えば、ポリネシアの社会の一部には、こんな集団があります。
 そこでは、男性と女性は、別々のルールで生活しています。男達は、幼年期は母の下で生活しますが、成長すると「男の家」と呼ばれるところで死ぬまで集団生活します。彼らは危険なに出て、交易や漁に従事します。仮に戦争が起きた場合には、もちろん彼らが戦います。
 一方、女性は基本的にそうした仕事はしません。その代わり、タロイモ畑の相続権を持つのです。これは、母から娘にのみ相続されるもので、息子は対象外です。つまり、すべての財産権を女性だけが持つ社会なのです。
 また、一夫一婦制でもないので、性交渉は常に家と土地を持つ女性の同意によってしか発生しない仕組みです。ある時受け入れたからといって、次も、以後も継続して関係を持って当然、とはなりません。常に女性が決めます。
 男達は危険な海に出て働きますが、それは当然のことです。だから女は子供を産めとか、男を尊べとか、そういったことはありません。

 しかし、現代社会は、戦乱のユーラシア大陸の文明が主導する世界です。
 戦争と略奪、暴力と支配の影響が、私達の文化から、まだ消え去ったとは言い切れません。物事を力で解決する仕組みが、まだまだ残存しているのです。そんな中で、女性の権利も侵害され続けているというのが現実です。
 それどころか、多くの女性もこうした社会や文化の影響を受けて、互いに争うことを余儀なくされているありさまなのです。本来平和的で、暴力とは縁遠いはずの女性が、例えばなぜ、嫁・姑で争わなくてはいけないのでしょうか。夫の家に嫁ぐというシステムがあるからではないでしょうか。

 世界をよりよくする最も簡単な方法は、単純です。
 女性がすべてを取り仕切ればいいのです。それだけです。

 残念ながら、私達の社会が女性中心の平和なものに成り代わるには、長い時間が必要でしょう。私が生きているうちには、目にすることなどないのではないかと思います。

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