離婚の判例:親権と監護権の分離……裁判所の配慮

離婚の判例集

 離婚の最大の被害者は、言うまでもなく子供です。

 しかし、離婚しなければいいというものでもありません。あまりに両親の不仲が行き過ぎると、子供はそれだけで強いストレスを感じます。父にも母にもいい顔をしようとして、不自然な顔を作るようになるのです。
 その影響はまず、人格に出てきます。いつもオドオドしていたり、逆に異常なくらいニコニコしたり。或いは、まだ幼いにもかかわらず、不気味なほど周囲に配慮できる子供になっていたり。もちろん、乱暴者になったりする場合もあります。
 私、蓮沼も実際に見たことがありますが、小学六年生の女の子の頭をそっと撫でようと手を伸ばしたら、ビクッと震えて目を瞑り、首を引っ込めたことがありました。私がそんなことをする理由などないのですが、とにかく反射的に「叩かれると思った」ようです。
 ストレスが大きすぎた場合には、健康状態にまで影響が出てきます。また、こうした環境で育った子供は、心の根っこの部分が弱いので、小さな試練にさえ立ち向かうことができなくなってしまうのです。

 一方、親はというと……

 離婚すると、2つのパターンに分かれます。
 子供は自分のものと考えて元配偶者と奪い合うのと、まったく関心を払わず養育費の支払いもしないパターンとです。

 こうしたことがあるため、裁判所としても親権者の決定には、いつも頭を悩ませているのだろうと推測されます。離婚の判例を見比べても、親権設定のルールがいくつもありながら、そのいずれが優先的に適用されるのかが、ケースバイケースで、裁判所によっても判断が変わってくるのは、こうした事情があるからです。
 子供の福祉を考えるなら、離婚しようとも両親は積極的に子に関わり、養育費の支払いも望んでして、面会交流もスムーズに行うべきです。しかし、法律上では親権者は父母のどちらか一方にしか与えられません。じゃあ、親権者ではないと認定された親はどう考えるでしょうか。

「人生を共にするわけでもないのに、カネだけ取られるのか」

 こう認識するでしょう。
 離婚後の養育費の支払いは、滞りやすいものです。なぜかといえば、親権者でなくなった側が「自分はもう当事者ではない」と感じるようになるからです。
 現実、「遠くの親戚より近くの他人」というように、接点がないと、次第にどうでもよくなるのが人情というものです。しかし、それで子供が不幸になるのを見過ごしてしまっては、裁判所としても立場がありません。

 そこで、トリッキーな手を使うことがあります。
 親権者と監護者を分離するのです。

「親権者はあなた、父親ですが、監護者はあなた、母親です。子供は母親と暮らしますが、父親も親として、養育費を支払ってください」

 親権という響きにお金を払うようなものですが、こういう決定を下すことで、別れた両親に、協力して子供の養育に当たらせようとすることもあるのです。
 ですが、これも決してうまくいくとは限らないのです。

一方的で強引な夫と、子供達の情緒

 昭和58年に結婚した夫婦ですが、翌年には長女、61年には長男、平成元年には二女が生まれました。
 この当時、ありがちですが、夫は会社員で、妻は寿退社して専業主婦になりました。

 しかし、判例に残っている記録だけでも、この家庭はどうも不和が絶えなかったようです。
 平成2年の後半から、長男の幼稚園への登園拒否が激しくなりました。また平成3年4月には、夫婦が激しい口論をした後、長男に下痢、嘔吐などの症状がでました。結果、長男は平成4年まで精神科に通院して治療を受けることになったのです。
 小学校に上がる前から、両親の不和が原因で心に傷を負い、しかもそれが身体症状にまでなるほどとは、どれほど過酷な環境だったのでしょうか。

 平成3年7月には、妻の車の運転の仕方が原因で、夫は妻を殴打し、妻はこの暴力をきっかけに、翌日子供三人を連れて実家に帰ってしまい、別居が始まりました。
 別居後も、妻は子供達の父親への面会を拒んではいなかったようです。夏休みには2週間ほど、冬休みには3日ほど、面会交流をさせています。ただ、長女は平成4年の冬の面会で、スキーを強要されたとかで、父親を嫌うようになり、以後、面会していません

 どうもこの夫、記録の端々に垣間見えるのが強引さです。車の運転で妻を殴打した、スキーを子供に強要した……ただ年収は1000万円を超えるといいますから、できる人だったのでしょう。
 平成5年に離婚調停が成立し、夫は子供一人につき、毎月3万円を送金することになりました。そして妻は、自身を子供三人の親権者とする審判申し立てをしました。

家裁の配慮

 原審は、何をどう考えたのか、親権者と監護者の分離を決定しました。
 長女、長男の親権者は夫、監護者は妻とし、二女の親権者は妻としました。つまり、三人とも母と暮らすのですが、上二人の子供については、父親を親権者としたのです。

 横浜家裁は、次のように判示しました。

「未成年者らの現状を考えると、夫が未成年者らを引き取った場合、現状以上の監護が可能であるかどうか疑問であるといわざるを得ない。夫は父親として懸命な努力をするであろうことは考えられるが、未成年者らが過去において比較的神経質であったことを考えるならば、敢えて問題が認められない現状を変えることは、未成年者らの福祉に反するものといわなければならない。そうだとすれば、妻を未成年者らの監護者と指定し、監護養育させることが望ましいものということができる。但し、未成年者らの親権者については、未成年者らの年齢を考慮して年長である長女、長男の親権者は夫と定め、年少の二女の親権者は妻と定めるのが相当である。すなわち、未成年者らの人格形成の観点から検討すると、特に年長の長女、長男と夫との従来の情緒的関係を見ると、夫の関与が不可欠であると考えられる。夫には多少一方的で強引な傾向があるとしても、夫のこれまでに果たした父親としての未成年者らに対する責任感、愛情は他をもって代替できないものということができ、これを継続させることが未成年者らの福祉に沿うものということができる。父母の離婚によって単独親権者となることはやむを得ないことであるが、未成年者らの健全な人格形成のためには父母が協力することが可能である場合には、協力関係が形成されることが望ましいことはいうまでもなく、幸いに本件においては、妻と夫とは、未成年者らの養育全般について、その福祉に沿うように配慮し努力することができる能力を有するものと認められる」

 いかがでしょうか。
 裁判所というと、いかにも高所から下に佇む人々を見下ろして、かくあるべしと命じる存在に思われなくもないのですが、ここで述べられている内容は、それこそもう、配慮、配慮の塊ではないでしょうか。

 このコメント、まず夫に多少なりとも人格的問題があることは認めています。「夫には多少一方的で強引な傾向がある」と言ってしまっているのですから。一方で「父親としての未成年者らに対する責任感、愛情は他をもって代替できない」などとフォローも入れていますね。
 本音では、このケースでは、母親だけに子供達を任せたいのかもしれません。夫が子供達の親権を欲しがるのはなぜか。自分を否定されたくないから、必死でアピールしたのでしょう。しかし、それでも子供達全員が母親の下で育つとなれば「そうか、俺の子供じゃないんだ」と開き直るかもしれません。
 判決で決まった養育費は、もちろん履行勧告などで支払いを強制することはできます。しかし、子供一人当たり月3万円です。これは年間108万円で、成人するまでの20年間とするなら2000万円程度にしかなりません。この当時としても、子供を大学までやることを考えるなら、三人を育てていくのに、とても足りる額ではないのです。
 夫は、この時点で年収1000万を超える、稼げる人です。彼がちゃんと貯金して、子供に投資してくれさえすれば、そうした進学費用に悩むことも少なくなるでしょう。そのためには、子供達との関係を切ってしまうのは得策ではないのです。

 また、子供達についても、こう述べています。「未成年者らが過去において比較的神経質であった」……既に子供達の人格には、この時点で重大な悪影響が出ていることを推察しています。
 両親の口論で下痢と嘔吐を惹き起こした長男。本来なら自分を愛してくれるはずの、頼るべき両親が互いに争う姿によって、精神がズタズタに引き裂かれている証拠です。
 スキーを強要されたくらいで父親に会いたくないと言い出す長女。確かに、子供にとってつらいことを、親が命じることはあります。しかし、子供は自身にとっての最善を選び取ることはできません。ピーマンが嫌い、という子供がいるのは想像がつくでしょう。おいしくなくても、好きでなくても、親なら「食べなさい」と言うし、強制もします。
 スポーツだって、子供は好きではないかもしれません。ですが、つらいことを乗り越えた先にある喜びを、子供達はまだ知らないのです。それを教えるのも、親の役目でしょう。子供が嫌がるから、と言い出したら、習い事なんかみんな成立しません。
 こうした忍耐力のなさは、裏を返すと親への信頼の欠如が根本にあるに違いありません。私はこれは嫌いだけど、私の好きな親がこれをしろと言っている、なら何か意味があるのかも……好意が苦痛を超えるほどの信頼関係がないから、打たれ弱い子供になってしまうのです。

ルール通りの高裁

 しかし、抗告審では、この原審の内容を切って捨てます。

「本件において、出生後2年弱で夫と別居することになった二女はもちろん、長女及び長男についても、特に妻に監護権のみならず、親権を与えることが不適切な事情も見当たらない」
「また、もとより、両親が離婚したとしても、未成年者の健全な人格形成のために父母の協力が十分可能であれば、監護権と親権とを父母に分属させることもそれはそれとして適切な解決方法である場合もあるとしても、先に認定したとおりの妻と夫の性格、両者の関係等に鑑みると、本件において双方の適切な協力が期待され得る状況にあるとは思われず、前記のとおり監護者として適当な妻から親権のみを切り離して夫に帰属させるのが適当であるとは認め難い。そして、先に認定したとおり、夫と未成年者らとの関係は現在概ね良好であるので、親権者を妻と定め、夫は親権者とならなくても、夫としては、従前のような面接交渉を通じて、未成年者らに対し愛情をもって接し、良好な父子関係を保つことは可能であると考えられる」

 三人とも親権は母親。以上。
 配慮は不要で、法の原則通りに判断した結果です。

 子供の年齢は何れも10歳未満、よって母親に親権が優先される条件を満たしています。また、現況も母親が子供との同居を成立させており、虐待などの問題も起きていません。
 論理的には、何ら間違いはないのですが……

 東京高裁の判決は平成5年です。
 令和の時代を迎えた今、あれからもう四半世紀以上が過ぎています。この子供達も、成人している頃でしょう。その成長の過程で、父親の援助は十分受けられたのでしょうか。不安定な情緒を健全なものにすることはできたのでしょうか。残念ながら、それを知ることはできません。

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